ニューヨークに憧れて。


アメリカ ニューヨーク。
この旅では時間の都合上
アメリカは1都市にしか滞在できなかった。


どの街を選ぶか。
僕は迷わずにニューヨークを選んだ。
世界を牽引するアメリカの中心地。
様々な映画や番組特集などで見てきた憧れの街。




自由の女神 マンハッタン 
ブロードウェイ セントラルパーク
エンパイアステートビル ハーレム
ブルックリン ウォール街
ハドソン川 ロックフェラー
メトロポリタン美術館・・・




この街を訪れたことがないにも関わらず
上記のようなこの街に関するキーワードだけでも
知っているという方は多いのではないだろうか。



世界の各都市を見渡しても
このように一つの街のことを
行かずともそれなりに知っているというような街は
ここニューヨークを置いて他にないように思う。



それほどメディアなどが多数ニューヨークについて
報じているということかもしれない。



僕が中学生ぐらいのころ
『めざましテレビ』で毎週火曜日に
“Oh my New York”というコーナーがあり
僕はそのコーナーを楽しみに毎週欠かさずに見ていた。
内容云々よりも全体として
ニューヨークっていろんな人がいて
なんだか楽しそうな街やなぁ
いつか行ってみたいなぁと思った。


そんな楽しそうな街
また多様な民族の街で
自由の国アメリカを体感したいと思った。


前回のキューバの記事で
歴史について知れたことが興味深かったという
感想をいただいたので
今回も普段あまり知ることのない
ニューヨークの歴史について
僕なりに調べたことを少しだけ書きたいと思う。



ニューヨークはご存知の通り移民の街。
1609年 
オランダの『東インド会社』(世界初の株式会社)に
雇われていたイギリス人探検家のヘンリー・ハドソンが
マンハッタン島を発見する。
(ハドソン川は彼の名前より命名)

その後オランダ人の移住が始まり
彼らはこの地を故郷にちなんで
『ニューネザーランド』と名付けた。
オランダ人といってもそのなかには
オランダの隣国であるフランス系やベルギー系など
様々な人種が混じっていた。


この場所にはもともと先住民が住んでいたが
オランダ人が土地を先住民から買い取った。
後に彼らを追い出すことになる。


1653年 
オランダ人は持ち込んだ牛を先住民に盗まれたため
自分たちの居住地と先住民の居住地を
区別するために防壁を作る。
この防壁があった場所が
その名の通り現在の“Wall Street” ウォール街。


1664年
イギリス人が入植しイングランド王ジェームス2世
(ヨーク・アルバニー公)の名を取り
この地をニューヨークと名付けた。


その3年後
第二英蘭戦争が終了すると
オランダはニューヨークよりもさらに価値があると考えていた
東インド諸島ラン島を獲得し ニューヨークをイギリスに渡した。



その後はイギリス人を中心に続々と
様々な人種が移住し現在に至るという感じ。


終盤の歴史は大幅に省いたが
ニューヨークの名の由来などを含め
ざっくりした歴史は
おわかりいただけたかと思う。




ここからは写真とともに街中紹介。
僕は土地の名前の由来を知るのが大好きなので
その解説とともにお楽しみいただきたい。






タイムズスクエア。
かつてニューヨーク・タイムズ紙の本社がこの場所にあったことに由来。


眠らない街を象徴するように
夜でもネオンの明かりが眩しい。








アールデコ調の建築が美しいクライスラービル。
高さ283メートル。
もともとは自動車メーカー大手クライスラー社のビル。
現在はドイツ系の投資会社とアメリカの保険会社などが所有している。










自由の女神。
正式名称は“Liberty Enlightening the World”(世界を照らす自由)
アメリカ合衆国の独立100年を記念して
独立運動を支援したフランス人の募金によって贈呈された。
ブロンズ像であったが酸性雨の影響で現在の色に変化した。




街にはびこる偽自由の女神。
話をしてみても楽しいかも。





ウォール街。
その中心 ニューヨーク証券取引所。
ウォール街の由来は歴史の部分をご参照あれ。






ウォール街 フェデラルホール ワシントン像。
証券取引所の向かいには旧国会議事堂がある。
ここで初代大統領ジョージ・ワシントンが
就任演説を行った。



ニューヨーク近代美術館。
現代アートのお好きな方はぜひ。
全作品写真撮影可能なところがありがたい。




現代アートだけでなく
著名な画家の作品も
多くはないがこの美術館のコレクションに。
その代表はゴッホの名作『星月夜』






マンハッタン島。
由来は先住民のデラゥエア語(レナペ語)で
“丘の多い島”
丘は特に多くないが。


昔読んだ絵本
『ちいさな家』を思い出した。




港の近くの公園で発見。
ニューヨークに生息するリス。


ニューヨーカの間でも人気沸騰中ユニクロ。
柳井さん やるな。






ニューヨークの意外なポイント。
屋台が非常に多い。
ホットドックやサンドイッチなどの軽食を販売。
日本で屋台というとお祭りのときぐらいだと思うが
ニューヨーカーには(バックパッカーにも)
屋台は支持されているようだ。



さて
ニューヨークスポットをいくつも紹介してきたが
実は本題はここから。



長文で申し訳ないが
僕のオススメスポットを2カ所紹介したい。



1カ所目







セントラルパーク。
南北4km 東西0.8kmにも及ぶ広大な公園。

空が見えるかわからないほどの高層ビル群
喧騒に悩まされる街中にあって
これほど静かで自然の多い場所が存在したのかと思う程の
まさにニューヨーカーの憩いの場。




ランニング サイクリングをする人の最適スポット。






シュールでいい感じ。




The NewYorker.





馬車と高層ビルの組み合わせが面白い。



この時期(3月下旬)には
まだ屋外スケート場が賑わっていた。



僕がこのセントラルパークをオススメする理由は
緑に囲まれ 歩いているだけで心が癒されるということと
もう一つ
音楽に溢れる公園だということ。




公園内をあてもなく歩いていると
多くのストリートミュージシャンに出会う。
それも演奏のレベルがみな高い。

そのままライブハウスへ行っても
お金を取れるんじゃないかと思うほど
腕の良い人たちばかり。

























この日だけで何人のミュージシャンに出会ったかわからない。
ジャンルも実に様々。


この公園をなにも考えずに歩き
お気に入ったミュージシャンに出会えば
ただただその演奏に耳を傾ける。


観光名所巡りだけではなく
これだけでもニューヨークの多様性を実感できる気がする。








ここはストロベリーフィールズ。
ジョン・レノンの記念碑。
1980年彼はこの近くのダコタ・ハウスで命を落とした。
名の由来はビートルズのストロベリーフィールズ・フォーエバーより。






このあたりのミュージシャンはもちろん
ビートルズの曲を演奏している。




続いてオススメスポットの2カ所目は
ワールドトレードセンターメモリアル。

ここはニューヨーク観光の際には
ぜひ訪れて欲しい場所だと思う。

実は僕のニューヨーク滞在の
最大の目的地であったりもする。




2001年9月11日。
僕は当時小学4年生だった。
日本時間の午後10時半ごろだったと思う。
家の2階にいた僕は1階でテレビを見ていた両親の驚いた声に気付き
何事かと思い 下に降りてテレビを見た。


するとニューヨークからの中継映像で
キャスターの『先程旅客機が世界貿易センタービルに突っ込みました』
という言葉とともに高層ビルが激しく炎上している光景が目に飛び込んできた。


その初めて見る光景に
そして生中継で現在起きていることだという事実に
思わず息を吞んだ。
この衝撃は忘れられないし 
この夜のことを昨日のことのように覚えている。


それほど小学生の僕にはショッキングな出来事だった。












それから12年。
僕はあの場所に来た。






世界中からの祈りの写真やメッセージを目にすると
2年前の東日本大震災のときにも
同じように日本のために世界中の人々が祈ってくれたと思い出した。










ワールドトレードセンター跡地(通称グラウンド・ゼロ)は
現在メモリアルパークになっている。



























ツインタワーのそれぞれの跡地には
ノースプール・サウスプールの2つのモミュメントがあり
そこにはこの事件で亡くなられた2983名の名前が刻まれている。
そのうち400名が人命救助に駆けつけたレスキュー隊。
また日本人も24名が犠牲になった。



2983名。
2983通りの人生がほんの数時間にして潰えた。


それぞれに家族がいて
夢があって将来があった。
それが全てなくなった。


この悲しみを決して繰り返してはいけない。

震災支援のときと被るけれど
宮城に被災ボランティアに行ったときに
現地の方は『決して忘れないでほしい』
とおっしゃっていた。

忘れられてからが被災地
という言葉を何度も聞いたけど本当にその通りだと思う。


この9.11も何年、何十年経てば徐々に記憶から薄れていってしまう。
けれど薄れてしまっても絶対に忘れてはいけない。
同じことを繰り返さないために後世に生きる人々にも伝えていかなければならない。
過去から学び現在をより良くシフトしていくことが歴史を学ぶ意義
だと思うし伝え続けていく必要があると思う。



このテロ事件に代表されるように
人の命はいつ終わりがくるかわからない。


明日の命を保証されている人間は誰一人としていない。
だからこそこの事件のように またこういう教訓を活かして
ありがたい人生に感謝して 毎日を懸命に
謙虚に生きていきたいと思うのです。












ワールドトレードセンターメモリアル脇に
現在建設中のワンワールドトレードセンター。
この再建にはアメリカ経済はテロに屈服しない
とのメッセージが込められている。



ニューヨークに来て良かったと心から思います。
ニューヨークへお越しの際は
セントラルパークとワールドトレードセンターメモリアルへぜひ。





最後は美しいニューヨークの夜景でお別れ。
大変な長文 最後まで読んでいただき
ありがとうございました。






















2013.6.1  Egypt Luxorより 田畑智英


カリブ海の不思議な国 キューバ。


今日はキューバについてのお話。
キューバという国を理解するには
僕のヨワい頭ではなかなか難しいので
感じたことそのまま
つれづれなるままに書きます。



キューバに行く前のイメージ。

•野球強い。
黒人系の肌の色に赤色のユニフォームっていう組み合わせが
めちゃ威圧感あるなーってWBCとか見てて思ってた。

•陽気な音楽
とりあえず踊りまくってマラカスとかもさかさかやってる陽気な音楽あるイメージ。
マンボとかもキューバに関係あるってのはなんとなく知ってた。

•キューバ危機 キューバ革命
詳しくは覚えてないけど世界史で習った。
チェ・ゲバラが関係してる。


以上!




キューバ。
みなさんはどんなイメージですか?


ここでイメージを最大限膨らませて
先に進んでくださいませー。






ではではキューバの巻の
はじまりはじまりー。



まずどこにあるのか。
カリブ海ってのはわかるけど
カリブ海って島いっぱいありすぎて
どれがキューバなのかって感じです。




引っかけでもなんでもなく
もちろん赤いのがキューバですよ。



キューバの少し北の出っ張ってる半島は
アメリカ・フロリダ半島です。(わずか150km)

すぐ西にある出っ張りはメキシコのユカタン半島。

すぐ南にある島はジャマイカ。

東となりはハイチやドミニカ共和国。
その他キューバの周囲は島国が多いです。






キューバ自体も
大きな本島を中心に
大小1600以上の島を持つ国です。
本島を中心にたくさんの島を持つ部分では
日本にも少し似ていますね。
(ちなみに日本の持つ島は約7000島)






写真を解説するときに
キューバの歴史にも触れておいた方が
いろいろわかりやすいので
(僕自身の勉強のためにも)
歴史に軽く触れていきますね。




キューバは
インドを目指していた かの有名な
コロンブスさんによって1492年に発見されました。
キューバの名は先住民の言葉で
“中心地”を意味していた『cubanacan』
が由来とされています。



その後400年間
スペインの植民地となり
先住民はこの間に滅亡し
さらに労働力としてアフリカから奴隷が
連れてこられました。



こうした背景から
キューバではヨーロッパ系やアフリカ系
混血など多様な民族が現在暮らしています。

















キューバの街中には
驚くべきことに
驚くべきことに
驚くべきことに!


驚いてくださいぜひ。



なんと
年代物のアメリカ車 通称アメ車
が今も現役でビュンビュン走っています。
















 



僕は車好きではないんですが
最初にこれを見た時はちょっと興奮しましたよ!
今ではこんな車
どっかの展示ショーとかで見るやつですもん。


現役でアメ車が当たり前に走り続けている
こんな光景は世界のどこにもない。




というのももちろんわけがありまして。

またまた歴史に触れていきますが
長いスペインによる圧政による不満から
キューバは植民地支配から脱しようと
独立戦争を繰り広げアメリカの協力を得て
1899年キューバはスペインから独立を果たしました。




そのころにアメリカ文化が流入してきたのでした。




しかしアメリカの協力の元
独立を果たしたキューバでしたが
アメリカに従属していた当時の政権の政治がよろしくなく
国は混乱しておりました。




極端に言えば
支配者がスペインからアメリカに変わっただけというイメージ。



その後 志し高い(あの)フィデル・カストロが
政権打倒を掲げ立ち上がりますが失敗し
メキシコへ亡命。



そのメキシコでアルゼンチン人の(あの)チェ・ゲバラと出会い
平等主義を掲げる2人は意気投合
再び軍を結成してキューバへ侵攻し
ついにクーデターは成功し カストロをトップとする政権が誕生。
これが有名なキューバ革命でございます。



カストロは農地改革 米系企業の接収など急進的な改革を実施しましたが
アメリカはこれに対しキューバとの国交を断絶します。
この1961年以降アメリカとキューバの国交は断絶されたままです。
街ではアメ車が走っているのになんとも不思議な事実。
かつてアメリカとの国交があったころに良い車がたくさん輸入されていたので
それを修理していまも使い続けているキューバ人。
日本の物を大切にする精神にも似てる。
もちろんこの国にはマクドやスタバなど米系企業は一切存在しません。



そして冷戦下の状況もあり
カストロはアメリカの圧倒的な力に対抗するため
ソ連の力を借りることに決め
社会主義国家に転換しました。









街では商業広告を全く目にしない。




どの社会体制が良いかなんて
僕にはわかりませんが
社会主義のこのお国

医療や教育は無料
そして食料の配給制があり
日々の最低限の生活は
国よって保証されています。


これはカストロやゲバラの
平等を目指した精神に基づいています。



確かに今までどの国でも目にしていた
物乞いの人をこの国では見なかったなぁ。


決して裕福な生活とは言えない生活だけど
かといって路頭に迷って飢えに苦しむこともない。


街で出会うキューバの人は
日本から来たというと
おぉーハポン!!イチロー!!マツザカー!!とか
みんな楽しそうに話してくれる。



10日間この国にいたけれど
陽気な人が本当に多くて
不満ももちろんあるかもしれないが
僕の目には彼らは実に楽しそうに
人生を生きているように感じた。



幸せとはなんだろうか。







政府の建物に描かれている
今もまだご存命の
フィデル・カストロ元議長。




国中でゲバラの写真や絵を見ることができる。
今でも彼が愛されていることがよく伝わる。





革命博物館で見た2人の写真。
平等な世の中を目指した誇り高き2人。
持つべきものは友 だと改めて感じる。





人の陽気さ
社会主義の街の雰囲気
革命の歴史のほかにも
忘れてはならないキューバの見所がありまして




それは美しいカリブ海です。























僕が見た海の中で
このキューバのカリブ海が
一番美しかったです。


朝起きて
ビーチ行って遊んで
昼寝して
またビーチに夕焼けを見に行って
キューバリブレを飲んで寝る。


この街にいた3日間は
この旅で最も平和な時間だったしれない。










首都ハバナのシンボル旧国会議事堂。



















ハバナでお世話になった
ラサロ&クリスティーナファミリー。





たくさんのことを僕にくれたキューバ。
今度はこの国をもっと深く知るために来たいなぁ。










全然まとまった記事になっていなくて申し訳ないですが
こんな記事からでも何か感じてもらえることがあれば幸いに。







2013.5.28 Israel TelAvivより 田畑智英














































タコスの国メキシコで『議会がマルちゃんする!?』


メキシコについて
僕が皆様にお伝えしたいのは





すっげぇ壮大なティオティワカン遺跡



でもなく





一緒に行ったみんなで
小学校の組体操ばりに
人間ピラミッド作ったこと




でもなく






遺跡にいたら
いい感じに落ち着いたので
正座合掌してみたこと





でもなく









メキシコシティに
セブンイレブンがいっぱいあって
びっくりしたこと



でもなく







街なかのショップで
普通に銃が並べられて売られていたこと



でもなく








露店のペットボトルのバランスが
神がかっていること



でもなく









メキシコシティの市立図書館が
マトリックスっぽいこと




でもなく









世界遺産の街
グアナファトの街並の美しさ






















でもなくて














これ。

























『マルちゃん』
のカップラーメンについて。










なんや
メキシコにセブンイレブンあるんやし
まぁマルちゃんのカップラーメン売ってっても
そんな驚くことちゃうやろ。




はい。
おっしゃる通りです。


おっしゃっていなかった人も
おっしゃったことにしてください。



マルちゃんが売っていることに
驚いたのではなく
(ちょっと驚いたけど というよりテンションあがったけど)




宿に帰って暇つぶしに
メキシコのマルちゃんについて
なんとなーく調べたときにわかった
様々な事実に驚いたのです。




(ネット情報+素材も少し古いのですがご容赦を。)





2005年に
アメリカ・ロサンゼルスタイムズ紙はこう報じました。


メキシコで即席インスタントラーメンのマルちゃんが
国家的規模の人気商品になり
豆や米を使用するメキシコの伝統料理が危機に瀕している と。



2005年以前の8年間でマルちゃんの消費量は10倍に伸び
逆にメキシコの伝統料理に必要不可欠な豆の消費量は10年で半減。



この状況に危機感を抱いたあるメキシコ料理店経営者は
「カップ麺は不健康な上に、まずくて食べる気もしない。私たちは毎日新鮮な食材をしよして新鮮な料理を出している。我々の伝統的な食文化を残すためにカップ麺と闘う」
とコメントしているそう。



なぜマルちゃんがそこまで爆発的に売れたのかというと
第一に挙げられるのがその価格。
メキシコの全労働者の6割の平均日給は1400円以下で
一杯約50円のマルちゃんは安い。


そしてすぐにできるという点も
人気の理由の一つ。




また
驚くべきことにメキシコの地元紙が
審議を早々に打ち切った議会のことを
『議会がマルちゃんした』と記事にした。




もはやメキシコでは
『すぐに終わる』『簡単にできる』
のような意味で“マルちゃんする”という動詞が
出来上がっているほどなのです。




ここまで来るとなんだか複雑です。
メキシコのマルちゃん人気。




さらにメキシコの人たちは
マルちゃんの食べ方が独特。




「メキシコではカップラーメンイコール マルちゃんだからね。みんなあの味が大好きなんだよ。僕が小さい頃からずっとそう。メキシコではサルサを入れてライムをしぼって食べる人も多いよ」
(あるメキシコ人大学生)



さすがスパイシー好きなメキシコ人。
サルサを入れておまけにライムを入れるとは組み合わせがオシャレ。





もう一つ見つけたおもしろい話。


2006年のサッカーワールドカップにて
メキシコ代表が実際に使用していた
速攻作戦の名前がすばり!


『Marchan作戦』




そのまますぎるけど
もう動詞になってるもんね。
新たな文化になっているということですね。
マルちゃん。




でも本当にメキシコの伝統料理に影響が出ているのなら
マルちゃんの製造元 東洋水産は
もう少しメキシコの飲食業界に歩み寄って
お互いの納得できる解決策を講じてもらいたい気がします。



資本主義の社会構造上
競争があってそれで強者と弱者ができるのは
当たり前かもしれないけれど
このケースは日本の企業がその国でビジネスをさせてもらっているのだから
その国の歴史や伝統を壊してしまうようなことはしてはいけないと思います。



そうではなくて
その国の歴史や伝統を重んじ
その国のより良い環境作りを共に実現させていくことこそ
真の日本の素晴らしさを伝えることができのではないかと
思ったのでありました。








日本人は日本人にしか宿っていない
崇高な精神を誰もが持っていますよ。

それを忘れずに生きていきたいですね。




2013.5.24   Israel Jerusalem より 田畑智英