南太平洋の小さな島国 トンガ王国。

1月14日〜18日まで
トンガ王国という太平洋に浮かぶ
島国にお邪魔してきました。



僕の訪れる国は
ここにいきたい!
って場所があって行く国ももちろんありますが
訪れる国や地域の全てに共通しているのが
文字の情報や言葉づての情報ではなくて
実際にその国の人々に 文化に触れて 様々なものを見て
何かを感じたいな という想いです。


なんでここいったん?
ってこれから思うことがあるかもしれませんが
僕の中で動機はどうでもよくて
僕にあるのは ただその国にお邪魔して
新しい何かを感じ取りたい 
という気持ちだけです。



で トンガ王国に行って参りましたとさ。
場所どこやねんということで。
シドニーからニュージーランドのオークランドまで
3時間のフライト
オークランドで乗り継いで
トンガ王国の首都ヌクアロファまで
さらに3時間のフライトです。
ちなみにヌクアロファは
世界で一番はじめに朝を迎える首都らしいです。
道理で清々しい朝でしたね。毎日。

にわとりの叫び声のおかげで。





オークランド〜ヌクアロファまでの飛行機は
観光客は少なく
トンガの人たちばっかり。


でもトンガの人はあったかくて
アウェーな空気は全く漂わず
むしろかなりウェルカム。


横に座ったトンガ人のおじいちゃんが
トンガに着陸した瞬間
“Welcome to Tonga”
って握手してくれました。


あったかいよね。

すっげぇ自分の国好きやし
観光客ウェルカムです。


僕も日本帰る便が
もし隣の席 
外国の人やったら
彼と同じように
“Welcome to Japan"て言お。





トンガの人は
ことごとく ガタイがええんですね。



一人席にギリ収まるぐらい。
女の方も例外ではなく
太ってはるんじゃなくて
ガタイがいい。


遺伝子のすごさを実感。
そりゃラグビー強いですわ。













街ではストリートサッカーならぬ
ストリートラグビーが頻繁に行われております。






そりゃラグビー強いわ。



2日目はツアーで島全体を案内してもらって
3日目にチャリを借りてツアーで周りきれなかった部分の
宿から島の反対側のビーチを目指しました。



これが僕の相棒
アロファ号。






チャリ借りるときに
貸し主のおっちゃんと
キーの確認と空気の確認をしました。


まぁボロかったけど
なんくるないさーな空気の流れてる
トンガなので気にすることなく
半日借りましたとさ。



数百メートル行ったところで

あれ?このチャリなんかおかしい。




・・・・・





止まれへんやん。





・・・・





だってブレーキがついていないんだもの。






トンガへようこそ。





そのおかげで
止まりたい場所を30メートルぐらい先に見定め
ゆっくりと自然減速して 
ぴたっとその目的地にチャリを止める技術
見事に習得しました。



何に使おかな。





まぁそんなトンガですが
なんといっても海がとてつもなく奇麗です。
 


これが僕が求めていった
Oholei Beach
















しかもこのビーチを独り占め。
これぞ贅沢の極み。




















思わず自撮り。





もー最高に美しい!
今まで見た海の中で一番の透明度でした。




灼熱の太陽の下
アロファ号を1時間半漕いで来た甲斐がありました。
実は広いんですよ この島。
王様も住んでるし。



さー帰ろって思って漕ぎ出したら
タイヤの嫌な音が聞こえますよね。



ぎゅるんぎゅるん鳴いてるんですよね
我がアロファ号の後輪が。
砂利道で見事にパンクしました。
かわいそう。
どっちも。




チャリで1時間半漕いで来た道を
歩いて帰るまでの体力は残っていなかったので
途方に暮れていると



しっかり通るんですよね
奇跡のタイミングでトラックが。




身振り手振りと
片言の英語でなんとか交渉して
街まで乗せてもらおうと考えてたら


パンクのパぐらいを言ったところで
褐色の良いトラックの運ちゃんと
その仲間2人に
乗れ乗れ!
と招き入れられ
我がアロファ号も一瞬でトラックの荷台に積み込んで
宿のある街まで送ってくれました。






バナナとアロファ号。



おっちゃんたちは
どうやらバナナを売って
生計を立てているよう。



バナナ
パイナップル
ココナッツ
などの果物の他

タロイモや
日本にも輸出している
カボチャなどが主な農作物です。





街までの道を順調に走っていると
おっちゃんがいきなり


おっちゃん『スズキという日本人を知っているか?』
僕    『スズキ?いやー知らないよ』
お    『彼はグレートなトランペット奏者で ここトンガでもブラスバンド組んで活躍してたんだぜ』
僕    『それいつの話?』
お    『6、7年前のことさ  今はいないがな。』



・・・



いやいやー
誰やねん スズキって。
ほんでどこいってん。
スズキさん。



まぁそんな楽しい会話をしていたのも
よくこれで走るなと思わずにはいられない日本の中古トラックの中で。

















でもよく走ってくれた。
おっちゃんたち ほんまにありがとう。
ほんまにあのとき通ってくれてなかったら
僕はどうなっていたかわからなかった。


お礼に 日本の名所の写真が映っているトランプをあげると
『おーこれが日本か! ありがとう!』
と嬉しそうに言ってくれた。
そして互いに別れを告げた。








トンガを走る自動車は
全てといっていいほどの割合で
日本の中古車。


トヨタ・日産・三菱・いすゞ・スズキ・スバル・マツダ
ほとんどの日本の自動車会社の自動車を見かけた。


しかも全部中古車。
中には日本で使われていた当時の
企業のステッカーがそのまま残っていたりして
なんだか不思議な感覚になった。


一番驚いたのが
ある日街を歩いていると
突然聞こえてきた懐かしいアナウンス。


“左へ寄ります ご注意ください”



よく引っ越し屋のトラックなどが指示器を出したときに
車体から発するあのアナウンス。


トンガでそのまま使われていた。
思わず笑いそうになったが
トンガの人がどこの言語とも知らずに
その音をただ平然と日常の一風景として
捉えているらしい空気になんともいえない
不思議な気持ちになった。




それにしても日本の自動車は
海外で人気らしい。







ある宿では日本人に会った。
まさかトンガで日本人と会えるとは思ってもみなかった。



彼は日本のODA(政府開発援助)で
トンガの家庭へソーラーパネルを設置し
電力を生む事業の現地責任者だった。





























夕食をご一緒させていただいて
彼のこれまで6ヶ月に及ぶトンガでの従事の際の苦労話や
逆に僕の旅の話などで盛り上がった。


日本を出てはじめて日本語を話せる人に出会って
本当に心が安らいだ。


旅先でこうして
日本の方と出会えるのは
刺激的というか懐かしいというか
何か特別な出会いになる。

しかも日本から遠ければ遠いほど。




彼の話によると



あと6ヶ月間でこの数百カ所設置の
このプロジェクトを完成させるらしい。



他にも空港までの道を整備していたり
所々に日本の援助の印があった。














日本人のほとんどいない
トンガという国にまで
こうして日本政府は無償で開発援助をしている。
こうしたことが日本という国は国際社会での信頼を
確立し続けている一つの要因なんだと
トンガを訪れて実感した。








南太平洋の小さな島国
トンガ王国。


時間のゆったりと流れる
人のあたたかな
笑顔の絶えない
自然の豊かな
とても平和な国。




何かを探しに
一度訪れてみてはいかがですか?

















2012.1.29  Chile  Vina del Marより    田畑智英

はじまりのまち。 ごーるどこーすと。


僕がこの旅で最初に訪れた街
Gold Coast。



街のそばにはすぐに
南北60キロにも及ぶ長く美しいビーチが広がっている。



真夏のオーストラリア。
街の中には水着姿で歩く人が少なくない。
真冬の日本のみなさんには
さぞかしうらやましいことでしょう。w























ゴールドコーストには
サーフィンにもってこいの波が
来るポイントがあるらしく
世界各国からサーファーたちが集まる場所でもある。


   ゴールドコーストの街の中心の名前は
 その名もSurfers Paradise.
 まさにサーファーたちの楽園。

 街のすぐそばにこんな美しいビーチがあるなんて
 なんとも贅沢なところ。


 僕もここでサーフィン
 はしてませんが
 美しいビーチで音楽聴きながらうっとりしてましたとさ。

 
 こっからは写真集。
 















鳥が多い。


















気持ち良さそうにいっぱい飛んでる。























波高いから実は泳ぐのは危険。
でもみんな泳ぐ。
そしてライフセーバーが定期的に警告する。
岸にあがる また泳ぐ。
的な繰り返し。
オーストラリア。
























ダンディなサーファーも多い。
オーストラリア。


























日差しがまぁ日本では考えられんぐらい強い
オーストラリア。
なんでもオゾンホールの下にあるとかないとか。

おばちゃんが
日差しあまりに強すぎるから
左手に持ってた買い物袋
いきなり頭にかぶって帽子代わりにしてた。
オーストラリア好きになった瞬間。w



























街ではいろんな人がストリートで演奏してる。
これはイタリア系のおばちゃん。
めちゃ楽しそうにカンツォーネを熱唱。
あまりの熱唱ぶりに見てる人苦笑い気味。

でもこの年になって
街でこうやって楽しそうに
自分の好きなこと貫いてるこのおばちゃん
最強にかっこええと思った。


人生自分の好きなように生きるのが幸せやもんね。







ゴールドコースト
往復10万円
フライト往復10時間程で
かなり気軽に来れるので
土日にぷらっと来てみては?












































2012.1.21 Australia Sydney より  田畑智英

旅立ちの日に。


1月9日
僕の旅立ちの日。



僕の性格上
旅に出るのに多くの人に見送って
送り出されてしまうのは
晴れがましくて
 
出発の日が1月9日だということは
身近な人ぐらいにしか話していなかった。




1月9日の午後3時頃に
両親、彼女と僕の家を出発し
最寄り駅の二条駅に向かった。


駅に着く直前で
彼女がいきなり
『私からのプレゼントでーす!!』
と言い 切符売り場のあたりを見てみると


これまで様々な場面で僕に関わってくれた
たくさんの仲間たちが集まってくれていた。



兵庫からわざわざ来てくれた仲間も
滋賀BKCから授業終わりに急いで駆けつけてくれた仲間も
さらに驚いたのは授業をサボってまで
僕の見送りに来てくれた仲間がいたこと。
なんということを(笑



















こんな僕なんかのために
これだけたくさんの仲間が
集まってくれて
僕は本当に 本当に感動し
目頭が熱くなった。


そして
見送りに来られなかった仲間にも
一人一人メッセージを送って
呼び集めてくれた彼女には
本当に感謝の言葉がない。





この旅立ちの日だけでなく
数日前からも多くの方々から
いってらっしゃいと応援のメッセージを受け取った。


















バイト先の仲間も
1ヶ月ほど前にいってらっしゃい会を開いてくれた。
それもおれが全然気付かないサプライズで。




結局僕はたくさんの人から
盛大に旅に送り出していただいた。


正直少し恥ずかしかったが
僕は世界一の幸せ者だと思う。
本当に 本当に感謝の想いでいっぱいだ。









応援メッセージをくださった方々
見送りに来ていただいた方々
バイト先のみんな
本当に ありがとうございました。


そして家族のみんな りぃちゃん
いつも見守ってくれてありがとう。



みんなに恩返しができるように
もっとでっかくなって
無事に半年後帰国します。

再会をお楽しみに☆










































2012.1.19   Australia Sydneyより  田畑智英

僕が旅を始めたワケ。


みなさま 初めまして(*^-^)
ようやく安定した電波に恵まれ
 my blog 開設しました!



旅に出て今日で10日目。
全て英語でのコミュニケーション
毎日のご飯 宿 移動などのやりくりは
まだまだ大変ですが
まぁなんとか元気に生きております。
ご安心くだされ。




今日はここに行ってー
これ食べてーって
いろんな人が書いてはる
世界一周ブログ村のブログみたいにひたすらおもしろーく
更新していくのもありなんですが
僕にはそこまでおもしろい記事を書く能力もなければ
そこまでブログ更新にこだわりたくないので

ゆく先々で感じたことを
みなさまに伝えたいことを
固くならずできるだけゆるーく伝えていきたいと思います☆



僕の感じた何かから
何かを感じ取ってもらってもらえればなと思いまーす。






今日はここまでの旅の出来事を語る前に
そもそもなんで旅出たん?
って話からスタート。



僕は文章が長くなることで有名なので
時間のあるときによければ読んでやってください(笑







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大学に入学する直前に一人の人に出会った。

そのとき彼はもうすぐ世界一周をすると言った。

まだ大学に入る前の僕には
この人すげぇー!!!
とただただ眩しく彼を見つめるだけだった。
いつか自分もあの人みたいに世界を見て回りたいなー。
そんなことを漠然と考えたことを憶えている。

大学では国際協力団体に入り、
ラオスでの小学校建設に関わる活動を行った。
みんなで一つの目標に向かって何かを成し遂げる
ということが大好きな僕にとって
その団体での活動の日々は素晴らしいものだった。


その団体も就職活動のため
3回生の前期で引退するという決まりになっている。


2回生も終わるころ
ふと将来のことを考えたときに
急に不安になった。


このまま3回生になって就活をしてもいいんやろうか?
充実はしてるけど 自分がほんまにやりたいことって他にあるんちゃう?
自分に問いだした。


中学や高校では
サッカー部に所属して、
仲間たちとガムシャラに目標に向かって頑張った。
大学での活動もそう。
それらの時間は僕の人生にとって
とてつもない財産になっていることに間違いはない。


しかし僕は気付いた。
“俺は何一つ 自分の力で成し遂げていない”


大学に入る前に憧れた 世界一周。
世界一周を実現することを大学生活の夢として
自分一人の力で その実現に向けて
頑張ってみよう。


2回生の終わりにそう決意した。


それからは
大学休学の壁、資金の壁、親の説得の壁
という僕にとっての3大関門が待ち受けていたが
決して諦めることなく

何が何でも実減してやる!
この旅に行けんかったら死んでも死にきれん!
と自分にひたすら毎日言い聞かせて
ようやく実現することができた。



元々かなりの臆病者の僕。
小さい頃 母からはよく あかんたれ と言われていた。
そんな精神が今もやはり自分の奥底に残っていて
何回も何回も何回もやめようと思った。
自分には無理だと思った。


でも
絶対実現すると自分と約束した以上
というよりかはここでもし逃げ出してしまうと
このまま一生 逃げ続ける人生 になる気がして
ひたすら自分を奮い立たせて歩き続けた。
だから僕は今 旅をしている。



絶対に 絶対に 諦めない。
単純だけど、難しい。





でも

思い続ければ 夢は必ず叶う。





じゃあどうやったら思い続けられるのかって考えたときに
僕が思うところでは
まず前提として

本当にやりたいと心の底から思えることを夢にする必要がある。
僕の場合 純粋に

この世界にはすっげぇ感動するぐらい美しい景色がいっぱいあるし
自分とは全然違う場所で全然違う人たちが暮らしてる。
人生一回やし この地球ってもんをまじ全身でめっっっちゃ感じたい!!!


っていう心の底の声みたいなものがあったから
その夢実現したいって思い続けられたし
達成できたんだと思う。




みなさんも
夢ってものを考えるときに
これを一つの参考にして
夢のある人生を生きてください。
ほんとに。


何を世間知らずの若造が
って思われるとは思うけど
現実を知って夢なんて言ってる場合じゃないってときにこそ
夢を持って生きてもらいたい。
夢を持って、それを叶えることには
特別な力があるから。


その背中を見て
続く人たちがいるから。
自分なためにも、未来を生きる人のためにも。





最後まで読んでいただき
ありがとうございました。      2012.1.18 Australia Sydneyより 田畑智英