聖地エルサレム。


イスラエル エルサレム。


ユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒の
約35億人もの人々が聖地と呼ぶ場所。


この3つの宗教の聖地が1k㎡四方のエルサレム旧市街に存在し
またパレスチナ人 ユダヤ人 アルメニア人 アラブ人
ペルシャ人 ロシア人 エチオピア人 インドネシア人 スリランカ人など
多種多様の民族が暮らす まさにこの世界が一所に凝縮されているような街だ。








旧市街の北の出入り口であるダマスカス門から
旧市街に入るとそこはアラブ人街。




食べ物や衣類など日用品が店に所狭しと並べられ
活気のある地域だ。





そこから10分ほど歩くと
ユダヤ教徒の聖地『嘆きの壁』に着く。


空港並みのセキュリティチェックを受け
壁のある広場へ出る。





ここはヘブライ王国の絶頂を極めたソロモン王のエルサレム神殿を
その後の紀元前30年にヘロデ王が完全改築し
建設した神殿の外壁の一部である。


神殿の西側部分の壁であったことから
『Western Wall』 西の壁とも呼ばれている。


 













紀元70年 
ローマ帝国の将軍ティヌスによって彼らの神殿は破壊され
ユダヤ人はエルサレムから追放された。


彼らはその後
年に一度だけ来訪を許され
エルサレムへの帰郷の願いを抱きつつ 
また神殿の崩壊を嘆き そして再建を願い 
この場所で祈るようになり
人々はその悲願を紙に記し壁の隙間に埋めた。



そして夜露が 
壁に生えるヒソブという草を伝って落ちる様が
涙を流している彼らのようだということから
いつしか嘆きの壁と呼ばれるようになったともいわれている。
彼らの祈りは2000年前からの伝統なのである。





黒のスーツに身を固めたユダヤ教徒たちが
一心に壁に向かって聖書を読み
祈りを捧げる姿を眺めていると
なんとも言えない不思議な気分になる。




またこの壁を訪れる際に
帽子を被っていない人には
「キッパ」と呼ばれる帽子のようなものを渡される。


普段私たちが神社仏閣に参拝する際には
脱帽するのが礼儀とされているが
(キリスト教・イスラム教も同じ)
ユダヤ教では逆に帽子を被らなくてはならない。

帽子やキッパは「天の下」
いいかえれば「神の御許」にいることを意味し
常に神と共にいることを意味するという。











自分の常識は世界に出れば非常識になる
ということを改めて感じた。




男女で祈りを捧げる場所が区別されている。

















ユダヤ人居住区通り。


















嘆きの壁からすぐの場所に
イスラム教徒の聖地
『岩のドーム』がある。



ここでも厳重なセキュリティチェックを受け
『岩のドーム』のある『神殿の丘』へ。


黄金が美しいこの『岩のドーム』は
預言者ムハンマドがメッカから「夜の旅」をして
「遠隔のモスク」(エルサレム)へ至ったと
『コーラン』に記されている場所である。


また大天使ガブリエルに導かれ
エルサレム神殿上の岩から天馬に乗り昇天し
神の御前に至ったといわれている場所でもある。


ちなみにモスクの内部はイスラム教徒以外は入れない。



このイスラム教の聖地『岩のドーム』が
ユダヤ教の聖地『嘆きの壁』
の真上に建っていることには驚く。



















『岩のドーム』から
旧市街の雑踏の中をさらに15分ほど歩くと
キリスト教の聖地『聖墳墓教会』にたどり着く。




イエス・キリストが処刑された
ゴルゴタの丘の上に建つこの教会には
聖墳墓教会との名の通り
イエス・キリストの墓が存在する。



教会に足を踏み入れるとすぐに
イエスが処刑後に十字架から降ろされ
その聖骸に香油を塗られたとされる場所がある。
























額を付け 何かをつぶやく人
手をあて 目を閉じて何かを感じている人
キスを捧げる人。


それぞれの方法でイエスの存在を確かめ
対話しているようだった。


南米・中米・アメリカ・ヨーロッパと回り
キリスト教の文化に触れ
そしてついに世界中のキリスト教徒の聖地に
自分が来たのだとと実感し
なんとも恐れ多くも同時に
こうしてこの地を訪れることができたことに
有り難い気持ちになった。





イエスの天井画が参拝者を見守る。






教会の中央にある
イエスの墓(聖墳墓)を囲む祠堂。






天から注ぐ光が
幻想的で荘厳な雰囲気を増幅させる。





イエスの墓をお参りするために
約1時間ほど並ぶ。




そしてついにイエスの墓と対面。





















ここがイエスの墓と伝わる場所。
キリスト教の聖地中の聖地。



ここで何を感じるかはひとそれぞれ。
ぜひ一度ご参拝を。









毎週金曜日の夕方には
フランシスコ派の宣教師の方々の解説のもと
イエスが十字架を背負いながら
ゴルゴタの丘まで歩いた道(ヴィア・ドロローサ)を
共に歩くことができる。




実際に十字架を背負い歩く人もいる。











イスラエル エルサレム。


ただただ
それぞれの聖地に寄り添い
生きている人々に出会うと

普段宗教について関心がなくても
ここに来れば必然的に宗教に触れ
考えずにはいられなくなる。



ニュースや本で読むだけでは決してわからない
現地で生きている 
宗教・民族・文化の良さや問題を
肌で感じることができる場所。






ここエルサレムは個人的に
この旅で訪れた沢山の街の中で
一番興味深い街でした。



2013.7.30    田畑智英




中東は本当に危ない国? ヨルダンとペトラ遺跡。


トルコ・イスタンブールから
ヨルダン・アンマンへ。



ヨルダン。
と聞いてもあんまりイメージするものがなく
謎に包まれてますよね。



ヨルダンと聞けば
サッカー好きな僕は
ワールドカップ予選やアジアカップなどで
幾度もの激闘を繰り広げた相手国というイメージが強いです。



また2003年のイラク戦争の時に
日本人の報道員がよくヨルダンの首都アンマンから
現地の戦況を生中継でレポートしていたのを覚えています。
イラクに行くのにも目と鼻の先にある場所です。

イラクで誘拐され殺害されてしまった
香田証生さんもここアンマンからイラクを目指しました。


当時の僕は
街の名前「あんまん」って。
井村屋の本拠地か。

とか思ってましたが。
誠に不謹慎。



さて今回僕がヨルダンを訪れたのは
旅人の間では超が付くほど有名な
ヨルダンの誇る世界遺産
ペトラ遺跡を見に行くためであります。

とともに数多くの旅人の話を聞く限り
中東の人たちはほんまに優しい人ばっか
ということで
マスコミに情報捜査された結果
日本人の中にある中東=危ないイメージ
をこの身でねじ曲げたいという目的も
内に秘めての訪問であります。



現に両親からはヨルダン滞在中は
毎日メールを送るように
と言われていたほど
やはり日本では中東に対する
負のイメージは根強いものがあります。






アンマンってどんな規模の街かなー
結構ちっちゃいんかなーとか思って
着陸寸前に飛行機の窓から街の様子を覗くと
広大な土地に家 家 家!
大都市です。
ヨルダン国民の4分の1がこの街に住んでいるようです。





国土の80パーセントが砂漠地帯であるこの国の家の色は
そのまま砂色。
黄土色の街です。
ヨーロッパなどからくる人は
ちょっと寂しい印象を受けるかもしれませんね。






街を歩いていると
『Welcome to jordan!!』
と2〜3分に一回は声をかけられます。
これは冗談ではなく ほんとのお話。


この旅の中で
ウェルカム!!と現地の人に言われた回数は
このヨルダンが断トツで1位です。



写真の少年達は人懐っこい中学生です。
バルサ!?レアル!?
とサッカー・スペインリーグの2強
FCバルセロナとレアル・マドリードの
どちらのファンなのか執拗に聞かれます。
(2社択一かーい。どっちでもないわーい。
アーセナルファンじゃーい!)
という心の声は心だけにしまっておき
バルサ!と答えるとバルサファンの子達は大喜び。

この国での
サッカー人気がすごいようです。


ま とにかく
ヨルダン人は旅人を歓迎しまくってくれます。


ペトラ遺跡の近くで
男子4人組のヨルダン人が
ピクニックしてて
おいでー!と手招きで誘われたので
しゃべりにいってみました。




そこで出会った同い年のArefと。
まゆげの繋がり方がイカツすぎて
同い年には到底見えぬが。






仲良くなったのでアラブの伝統的な被り物を
被せてもらいました。



メールでこの写真を見た母親からは
どっちが僕かわからなかったと言われました。
そんなアホな。






噂通りのアラブの人の
人の良さに触れたところで
いよいよペトラ観光です。


ペトラ遺跡は
あの『インディージョーンズ 最後の聖戦』
の舞台になったことで一役世界的に有名になった世界遺産です。
知らん人は なんそれ って感じだと思いますので
ぜひご覧ください。



入場ゲートから約30分ほど
この切り立った岩の谷を
進んでいきます。



こんない狭いのに

 

馬車が高速で駆け抜けます。
セレブな観光客の方達がお乗りになられております。



そこをようやく抜けると
目の前に突然現れます!


エルハズネ!!


まさにインディージョーンズ!!
見た事ない方は今すぐお近くのTSUTAYAへ。



切り立つ岩をくり抜き神殿を築く技術
素晴らしいです。





このエルハズネ周辺には
ポストカードやアクセサリーを売る
小学生〜中学生ぐらいの少年少女がたくさんいます。


ふーむ。
この国もいろんな問題を抱えていそうです。





かなり広大な規模のペトラ遺跡。
観光客の遺跡内の移動には馬車だけでなく
ラクダやロバも使われています。


がもちろん僕は全部徒歩っす。
この日だけでも10キロは歩いたと思いまする。







岩の自然な模様が美しさを際立たせます。



















とーにかくペトラ遺跡は広いです。
一般的には2日使って観光するようです。
僕は若さを売りに一日で回りきりました。
へろへろくんです。



見渡す限り一面
砂色の世界が広がります。


ここで人間の弱さを見せては
自然の脅威に負けてしまう気がします。


写真の向こうの山をひと山ふた山越え
遺跡の際奥部へ。







山の谷をひたすら進むと
この見事な神殿にたどり着きます。



来るだけでも一苦労なこの過酷な場所に
こうして神殿を築いた人間を讃えずには
いられません。











観光の途中でも
敬虔なムスリムはその場で神に祈りを捧げます。
宗教を考えさせられます。



帰りにも死んだような顔をして
観光客に土産物を売っている少年少女達に
声を掛けられたので
彼らと遊んでみました。



最初は他の観光客に接するのと同様に
ポストカード1ドラー1ドラーと
言っていた彼らですが
僕が彼らに好意的な人物と察すると


カメラで写真撮らせてー!
携帯の写真見せてー!
と人懐っこい笑顔とともに
本来の明るさを見せてくれました。























来る日も来る日も
観光客にお土産を売って
その日の生活の足しにして暮らしていく。



純粋に彼らには
「愛」が足りないんだなーと思いました。
特に大人からの愛が。


彼らは何も悪くないのに
観光客に無視されて
どんどん心の傷をひろげていく。
むしろそんなことにも慣れて
何も思わなくなる。
お金を得る事だけを目的に
生活をするようになる。



生まれた環境が違うだけで
こうも人生が違うのかと愕然とし
今の自分にできることのなさに
呆然としました。



彼らをこの場で救う事はできないけれど
ただただ純粋な彼らと
「楽しさ」を共有することが
僕にできることのような気がしました。












中東の国ヨルダン。
テロや戦争というイメージなどではなく
少なくとも僕には

すごく陽気で
旅人を歓迎してくれる
心優しい人々の多い国という印象が残りました。






ヨルダンの大地は
微笑ましく笑いかける一方で
僕を嘲笑うかのように
静かにその旅路を見守ってくれていました。





2013.7.14  Thailand  Trat より  田畑智英