海からの贈り物 ビーニャ・デル・マール



ここが僕の旅の最初の分岐点。



イースター島に着いたときには
その後の予定として
イースター島からサンティアゴに帰って
そこからアルゼンチンの首都 ブエノスアイレスに行く
という計画を立てていたわけです。


でもイースターで出会った人から
サンティアゴから少し離れたチリの港町 
ビーニャ・デル・マールの宿
汐見荘ですっごいうまい魚が食えるよ!
と紹介してもらい


2分悩んだ結果
予定を変更して
ビーニャ・デル・マールへお邪魔。

この2分の間は
ただぼーっとしてただけ。
なんせ “びーにゃ” っていう音に
引き寄せられたんですわな。




びーにゃの海も
きれいな色してはります。



着いた日に
びーにゃの港の魚市場で
早速お買い物。
with
夫婦一周中の はまゆみば夫妻

南極いってきたユウコさん。



新鮮な魚・貝がそろっております。





ファンキーな
魚捌き職人のおばちゃん。



この港に朝にいけば
予期せぬ生物に出会えるのです。



それは






あざらしさん。





これはあくび


してるのではなく
魚市場の捌き職人が魚を捌いて
魚の余った内蔵を
アザラシ目がけて投げるのを
必死にキャッチしようとする図。


えさを人間に頼っているのね。
アザラシさん。
楽を好むのは人間だけじゃないみたいですね。




この日は
ムール貝とあさり(はまぐり大)を買って
チリワインでワイン蒸しに。


アイデアはすべて
はまゆみば夫妻。
この2人の食のセンスがずばぬけてて
ただただひれ伏すばかり。


ちなみにチリは
ワインの生産量世界第7位に入る
堂々たるワイン産出国。
だから安い。

1ボトル 300円ぐらい。
いや冗談抜きで。
で おいしい。

地産地消 in チリ。
素晴らしい。



と言っている間に
ムール貝とアサリのワイン蒸しが
完成したみたいですよ。



ででん!




新鮮な貝たちのワイン蒸し
うまくないわけがない!

〆にはワイン蒸ししたときの
貝のうまみが出たダシで
リゾットを作って食べました。

まったく贅沢きわまりない。
のに4人でシェアするから
一人1000円もしない。


初日から大満足の
びーにゃ生活。




2日目は
びーにゃの隣町で
街全体がカラフルな町並みで
世界遺産にも指定されている
バルパライソへお邪魔。






カラフルな町並み。
なんか歩いてると
こっちが楽しくなる感じっす。
色って大事っすな。





おしゃれな階段だべ。









街の至る所に
こうして絵が描かれておるわけです。


街全体が美術館といっても
過言ではない。
art好きは必見の街です。
バルパライソ。



さてさてやって来ました
夕食の時間。


今日の夕食は・・・


ででん!





サーモンとシマガツオの刺身
シマガツオのバターソテー
白ご飯!

醤油とわさびはお好みで。
ここは日本ですかと。

おいしそうすぎませんかと。

これ書いてる今も
また食べたくなってきますた。


この
シマガツオ
現地名エチオピアっていうんですが
これが 超絶品。
中トロと言ってお店で出されても
区別つかんぐらい中トロに酷似。



うますぎて
みんなでうなずき合いながら
うーん!うーんうーん!
言ってうなりまくってました。


南米で新鮮な刺身を
醤油とわさびつけて食べられるなんて
あぁー幸せ。


づけ丼も作っちゃいました。



もーね
はまゆみば夫妻のアイデアセンスが
光りまくったびーにゃライフでした。



ここで僕の食に対する考えが
ちょっと変わりまして。

僕はあまり普段食に対する執着がない方なんですが
ここで食べた数々の料理たちに
感動しすぎて
人生で食って大切なんだと
当たり前のことなんですが
そのことに改めて気付きました。


僕の人生の軸の一つが
感動することなので
食で誰かに感動を届けられるのも
素敵やなーって感じて
今後試みようと思いました。




最後に
この記事のはじめに
ここが僕の旅の最初の分岐点。

と書いたのですが
これは
自分の仲で計画通りに進めようとしていた旅を
イースターで出会った人にこのビーニャをおすすめされて
実際に訪れたことによって

旅は計画を組むより
こうやって旅先で出会った人に話を聞いたり
また自分のそのときの興味に従って
訪れる場所を考えている楽しさを覚えたということです。



そういう意味で
僕の新たな旅の一つの方向性が見え始めた場所。
ビーニャ・デル・マール。



また一つ思い出の地が増えました。







はまゆみば夫妻 大阪人のカツさんと。

















2013.2.21   Bolivia  La Pazより  田畑智英






もあいじま。


イースター島。
現地語名はRAPA NUI。(広い大地の意)
チリの領土に属しているため 公用語はスペイン語。
そのため Isla de Pascua というスペイン語名も多く使われる。



そう ここは
あのモアイのいる島。




僕は小さい頃から
外国の文化
というか聞き慣れない異国の言葉の
響きにどこか憧れを感じていた。



小学生の時
国語の授業で
このイースター島の歴史に関する文章を
学習したことを覚えている。



歴史の内容は忘れたが
ナレーター声を
CDで聞く形式だったその授業の中で
唯一 僕の耳に残っていたイースター島の地名


それが
『ラノ・ララク』



ラノ・ララクは
イースター島のモアイを造るための
巨大な石切り場。



島のモアイのほとんどが
このラノ・ララクから切り出されたものだ。



そんな
10年以上前に聞いた
懐かしい響きたちを求めて
僕はイースター島に降り立った。






モアイ像。
想像よりもその大きさに驚いた。






遠近法を見事に利用。
このモアイ像は実際のところ5メートルは軽く超える高さ。




着いた初日に
モアイ像ともに美しい夕焼けを見た。




夕日を眺める時間が
僕は一日で最も好きだ。



優しい色を届けてくれる西日。
それをうっとり眺める人々。
それらをあたたかく包み込む時間。
その全体の何とも言えない平和な雰囲気。



どれもが僕の心をいつも癒してくれる。



ここイースター島では
さらにモアイを含んだ神秘的な光景に出会うことができた。



一日の珠玉の時間。





もはや言葉はいらない。

































ただ 感じるだけ。


地球の素晴らしさを。
自然の偉大さを。
人間という存在を。

















2日目、3日目はアクティビティday.

僕の中で
“島”と言えば恒例の
レンタサイクル。


トンガのアロファ号に引き続き
今回の相棒は“アフ号”。


アフとはモアイの乗っている神聖な台座のこと。
トンガのアロファに少し言葉が似ているのは
偶然ではなく
トンガの人も
イースターの人も
ポリネシア系という同じ起源をを持つ民族だからだ。
このあたりの事実は 非常に興味深い。




さて、サイクリング開始。


絶海の孤島をひたすら感じるコース。
道はオフロード6割舗装4割ぐらい。

オフロードは座ってこいでたら
お尻の皮が何枚あっても足りんと思うような
揺れ具合の道。


またもパンクの恐怖。




対向車は車か馬。
なかなかないぞ。
こんな場所。



牛は道路脇でグダグダしてる基本。







絶海の孤島 イースター島。
チリのサンティアゴまでは3700キロ 
タヒチまでは4000キロ離れている。


イースター島から
最も近い人の住んでいる島までは
なんと2000キロ。
つまり隣町まで2000キロ。
スケールがまるで違う。



街から自転車を漕いでちょうど1時間
あの ラノ・ララクに到着。




ここはユネスコの世界遺産に登録されている場所。
イースター島ではこのラノ・ララクと
もう一カ所が世界遺産の指定を受けている。






ラノ・ララク。
ここには 切り出されたものの
アフ(台座)には立てられずに 
放棄されたモアイたちが今も残る。
その数は500体とも言われている。























ここが石切り場。
画像下には
体の周囲だけ石を削られ
形を整えられて横たわるモアイがある。






ちょっと中休み。
モアイの真似。










ラノ・ララクからすぐにある
イースター島で最も有名な場所
アフ・トンガリキ。



ここには15体のモアイが立ち並ぶ。
これは日本の企業がクレーンを無償提供し
倒されていたモアイをこのように
立て直したことで有名。





さて ここで最大の疑問。


モアイとは一体何なのか。
そして
なぜ倒されたのか。





モアイとは何なのか。

ポリネシア系の民族には
先祖崇拝の信仰があり
先祖や勇者達の霊を部族の守り神として祀る習慣があった。

またピラミッドのように
一族の権威を誇示する意味もあり
モアイはその象徴として
10世紀頃からイースター島に多数築かれた。




なぜ倒されたのか。


モアイを石切り場から
海岸部まで運ぶには
多数の木材を使用し運搬した。

そのため森林伐採による環境破壊と
人口増加に伴う 食料危機が起こり

やがて部族同士が争い合うようになった。


相手の部族を攻撃する際に
その部族の象徴であるモアイも
もちろんその攻撃対象になったことは
想像に難くない。



その後は様々な歴史を経て
現在に至る。

現在島に立っている無数のモアイ像は
全て研究者の協力のもと
倒されていたものを
元の場所に立て直したものだ。




今では観光地としてにぎわう
イースター島にも
壮絶な過去が存在していた。




犠牲の上に平和が存在していることを
決して忘れてはいけない。























学ぶときは学ぶ。
楽しむときは楽しむ。


3日目は島で出会った日本人の仲間と
トラックで島観光。


カルデラ。
















ビーチでスイカ割りもしました!
相当珍しいらしく
ビーチに来ていた人の多くが
この様子を見てました。


















何年か後に
このスイカ割りが
この島の文化になったら
それはそれでおもしろいかもしれませんね。




たっくさんのことを
僕に教えてくれたイースター島。



モアイに包まれる島時間の中で
ゆったり癒されて
とっても素敵な場所でした。




またこの夕日
見たいなー。

















2013.2.6  Argentina Puerto Iguazuより   田畑智英

チリの都 サンティアゴ

チリの首都 サンティアゴ
多分日本にいたら
この街の名前すら
人生でほとんど聞かない街じゃないかな。



僕も来る前は
名前だけかろうじて知ってたぐらい。


来た理由は
イースター島に行く玄関口っていうのもあるけど
やっぱりその国を知るには
首都の状況を見ることが
大事な基準だと思っているのであります。
あくまで基準の一つですけどね。



さて。いざサンティアゴに来てみると
想像していたよりも大都会でビックラこいた。




チリは南米諸国のなかでも
経済状態が比較的安定していて
治安もそれほど悪くはないという話は
聞いていましたが
それを随所に感じ取ることができる場所でした。





高層ビルと歴史的建造物が林立している感じですな。


京都よりははるかに都会。
ビルの規模も、街の規模も。


カテドラル(大聖堂)の息をのむ美しさ。
キリスト教の建築って
荘厳で重厚な感じがして
お寺とはまた違った落ち着きを感じます。






ヨーロッパに行けば
教会に飽きると
旅人はよく言いますが
僕は飽きることはないでしょう。
建築だけでなく
宗教そのものに興味があるので。
おそらく。









サンタルシアの丘という場所が
サンティアゴにはあります。






サンティアゴは1541年
スペイン人の征服者
ヴァルディビアによって建設されました。


征服者ということは
もともとこの土地の人間ではなく
植民地としてこの土地を拓きに来た人間です。


もちろん
もともとこのサンティアゴの土地には
先住民が住んでおり
戦争が起こりました。


このサンタルシアの丘は
征服者ヴァルディビアが
街を征服する拠点として築いた要塞跡です。


かつての争いの歴史は陰をひそめ
現在は公園として市民に解放されています。

















日本という国は
内乱を数限りなく繰り返してきましたが
他国の侵略を受け
征服されたという歴史を持っていません。




オーストラリアもそうですが
チリをはじめとする南米諸国は
他国に征服されたという歴史を持っています。



南米諸国の公用語がスペイン語・ポルトガル語
だとということがそれを物語っています。




察するに
その時代から現在までには
数えきれない民族の問題があったでしょうが



数百年という歳月を経て
現在はかつての先住民、征服者、あるいは混血の
その子孫たちが同じ街で 同じ時を過ごしている。




まとまらんけど
いろんな人種の人々を目の当たりにすると
なんだかいろんなことを考えるのであります。



その日の景色 その街の人々の生活 
あらゆる素材から
本当に毎日たくさんのことを学んでいます。


日々感謝の毎日であります。









2012.2.3   Argentina   Buenos Airesより   田畑智英 

オペラハウス。 百聞は一験にしかず。


トンガからシドニーに帰ってきてから



シドニーと言えば
オペラハウス!



ということで行ってきましたオペラハウス。
“世界三大がっかり”
に数えられることもあるこのオペラハウスですが




世界遺産なってるんやしやっぱすごいんちゃうん!?
という期待と
やっぱりみんなの言うように
がっかりするとこなんかなー
という不安も抱きつつ
英語ガイドツアー




ではなく日本語ガイドツアーに参加してきました。

そら、よく理解できた方がいいもんね。
このオペラハウスくんを見極めるには。やっぱり。





案内してくれるのは
広島に10年ほど在住経験のあるヒューさん。
この人 今まで出会った外国の人の中で
一番敬語がうまい。


“さきほどーのビデオをご覧になってーすでにーおわかりかとー思いますが”
ってのがほんま目つぶって聞いてたら日本人が言ったんかと思うぐらい。
いやほんましゃれならん うまい。
ま ちょっと言い過ぎたけど。






ではでは
今宵はあなたを
オペラハウスツアーにご案内します。



まずは外観。









晴れていればこの
オペラハウスの白と
空の青のコントラストがきれいなことでしょう。
おそらく。





シドニーオペラハウスは
1973年に完成した
その名の通りの
オペラ、コンサート、演劇、ライブなどが行われる
イベント会場です。



設計者はデンマーク人の
ヨーン・ウッツォン。(Jowrn Utzon)



うっつぉん。
日本人には発音しにくい名前。
うっつぉん。
(以下 うっちょ。)なんで。



うっちょは
当時世界的に有名
ではなく
全く無名の建築家。



このオペラハウスの設計案は
コンペ(建築設計競技)で
世界32カ国 233件の応募の中から選ばれました。



うっちょ の設計図はスケッチ程度の全く現実性を帯びないもの
であったために第一次審査で却下されましたが
コンペの審査員の一人が遅れてコンペに参加し
もう一度はじめから全ての設計図を見せてほしいと頼み
全ての設計図を見た結果
このうっちょ の描いた
ヨットの帆を想わせるユニークで独創的な設計図を絶賛し
うっちょ の案が採用されたのですとか。


この審査員の権力がすごいですよね 実際。
でもこの人がいなければ
今のオペラハウスはありませんね。
彼の名は エーロ・サーリネン らしいですよ。
興味のある方はあとでググってみてください。




なんか うっちょ という名前に親近感涌いてきた。




建設工事は当時の計画をはるかに上回る
14年の歳月と1億200万ドルをかけて
1974年に完成しました。



歴史的にはこんな感じです。



ではではハウスの中へ。







ここはエントランスロビー。
左側の木の部分にホールに入る入り口があります。
右のコンクリートは屋根 兼 外壁になってます。


おもしろいのが
この内部のホール部分と
外部の屋根 兼 外壁の部分が
それぞれ独立しているということ。


つまり
中のホール部分を先に作って
その後で その上にヨットの帆のような屋根を覆いかぶせた建築
だということ。





くっついているようで
くっついていないんですよ。
この木とコンクリート。

ちなみにこの木はユーカリの木。
コアラが食べるやつですよね 多分。
でもコアラおらんかったな。






コンクリート部分もかなり独創的デザイン。






左のホール部分と
右の 屋根 兼 外壁
の間に階段を走らせています。







ヨットの帆の屋根に使用されているタイルは
スウェーデンから運ばれたもので
なんとその総数は105万枚。


どんだけ多いんかわかりまてん。








タイルの色にご注目。
真っ白ではありませんよね?

黄ばんでますよね?
やっぱり完成から40年もの歳月が経つと
真っ白なタイルもここまで黄ばむんですね。


ということではないんですよ実は。


このタイルははじめから
白と ベージュに近い色の2種類を
組み合わせて張られています。


真っ白なタイルだけだと
日差しの強いオーストラリアでは
オペラハウスを見たときにその反射が
ものすごく眩しいものになってしまうため
こうして異なる色のタイルにすることによって
光の反射を抑制しています。


さらに
この複雑な形状の屋根を
掃除するのもたいへんであるため
自然に雨によって表面の汚れが
洗い流されるタイルを使用しているそう。
だから一回も今まで掃除したことないのに
きれいなタイルなのだそう。



うっちょ やるやん。








床は気品のある
赤大理石。

これは多分掃除しなあきませんやろ。









ここはホールから休憩エリアに続く
紫の絨毯。
紫という色は
“美”や“優美”を連想させることから
各国王室のロイヤルカラーとしても使われている色。



このあいだのロンドンオリンピックの
メダルのストラップの色も 紫 ですよ。




さすが こだわってますね。









このガラスは200年ぐらい保つガラスらしい。
ふむーすごいけど そんなガラスあるんかいな?
いや これがそれか。
200年後の人に聞いてみようかしら。
拝啓 200年後のシドニーのみなさまへ。

いや 信じよう。




ホールの内部は
諸事情により写真撮影禁止でした。



けど
なんといってもおしゃれですね。
どれをとっても。


世界最大級のパイプオルガンとかもありましたね。
あと
座席の椅子が音響効果を非常に考えている椅子らしくて。
人間の体って音をある程度吸収するようにできているらしくて。
ホールの椅子もそれ同様 音を吸収するようにできているのだとか。


なんかよくわからんが
こだわりと使われている技術がすごい。



そんなこんなで
敬語のすごいヒューさんの日本語30分ツアー終了。
しゃべりまくりのヒューさんおもしろかった。
めっちゃ勉強なりました。
ありがとうございました。




写真は
一緒にツアーに参加した
新婚旅行中の向夫妻と。









シドニー オペラハウス
僕はがっかりするどころか


その細部に至るまで
こだわりの結晶で創られたこの見事な建築に
圧倒されました。




やっぱり
何事も話を聞くだけではなく
自分で実際 経験してみないとわかりませんね。


百聞は一見にしかず
ではなく
百聞は一験にしかず ですよ。












2012.1.31 Chile  Vina del Marより  田畑智英