地球の裏側にある 素敵な日本。


今日のお話は
パラグアイの日本人居住地について。


イグアスの滝を見に行った
アルゼンチンの街 プエルトイグアスからバスに1時間乗ると
国境を越えてパラグアイのシウダーデルエステに着きます。


さらにそこから1時間
首都アスンシオンへ向かうバスに乗り
今日の目的地に向かいます。



僕の中でパラグアイのイメージと言えば

サッカーワールドカップ 南アフリカ大会で戦った相手で
あの赤と白のシマシマのユニフォームと
南米っぽい良い褐色の顔色の選手たちのイメージのみ。



そんな全くイメージがわかなかったパラグアイを
一気にこのバス移動で好きになることに。



そのバスがこのローカルバス。
なんだかスクールバスみたいです。




この時点でなんかテンション上がる。
ローカルローカル。
あんまり観光客が乗らないのか
みんな僕に興味津々
チラ見の数が半端ない。



ほんで
途中の停留所からいきなり
大量の竹製の棒を
バスに積み込ませたいおっちゃんが現れ
僕もなぜかその積み込み作業を手伝う。






どんどこどんどこ
棒が山のように積まれていく。




床から座席の高さまで来てるし。
積み込みだけで15分はかかったし。
なんやねんなこの竹の棒。
お客さんみんな普通な顔してるし。
なんかもう自由すぎて。

しょっぱなからなかなかおもろいやんけ 
パラグアイ。


席のうしろのおっちゃんが
いきなり声かけてきてくれて振り返ったら
その人が
今まで会った全人類の中で
一番優しい目しててびっくりした。


目優しすぎてびっくりするとかまぁないよ。
ほんまにこれはびっくりした。


そのおっちゃんとしゃべってて
どっから来たのー?
日本だよー。

じゃあ空手知ってるでしょー?
空手!?知ってる知ってる!

おっちゃん空手やるの?
空手の段持ってるよ!

的な話になって
おれの隣の席においでよ
的な事を言ってくれたから
席を移動しようとしたんですよ。


自分の座ってた席の
背もたれを持って立ち上がろうとしたら


!!!




椅子が背もたれごと折れて
そこによりかかってたおれも
すっごい勢いでぶっっこけたわけですはい。



その瞬間
おっちゃんもバスのみんなも
爆笑ですよねそら。



痛かったけど
恥ずかしくて
申し訳なくて
楽しくて
ただただ爆笑しましたよ僕も。



みんな笑ってくれてありがとう。


バスの係の人も
椅子折れたことは全く怒らずに
あぁそんくらい気にせんといて
てきな事言ってるし
パラグアイ 自由なくにじゃな
入国1時間で大好きじゃわ。



これがそのときの図。


右のおっちゃん
めっちゃ優しそうでしょ。




そんなこんなで
イグアス市 と呼ばれる
日本人居住地に到着。




赤土が印象的な土地。




めちゃくちゃのどか。
ラオスを思い出すこの風景。





中央公園にある鳥居。







日本語の看板。
(私という主語を地球と想ってお読みください。)





日本通り。



そしてなんとこの街というか村には
農協があります。
そう 我らが COOPですよ。






入り口を入って
レジのお姉さんからかけられた言葉
『いらっしゃいませー』


あれいつ日本帰ってきたっけ。
あぁ さっき半年ぶりに帰ってきたところやった。
って一瞬思えたぐらい ココドコデスカ病。








日本のスーパーと変わらない
日本製品の品揃え。









日本食もいただきました。
牛丼そのまんま。
涙が出るほどおいしい。






このように
なぜここパラグアイに日本人居住地があるのか。

パラグアイ日本人会の事務所で少しお話を伺いました。




ブラジルに日系人が多くいらっしゃるのは日本でも
わりと有名ですよね?


サッカー元日本代表の田中マルクス闘利王や
解説者 セルジオ越後
ラモス瑠偉や三都主アレサンドロ
彼らはみんなブラジル出身の日系人。



ブラジルに日本人が移住したのは
今から約100年ほど前の1908年。



その後ブラジルの周辺諸国にも
農業を中心とする移住者が増え
パラグアイには1936年に移住が開始されたそうです。




第二次大戦中には移住が中断されましたが
終結後再び再開され
現在では約7000人の日系人の方が
パラグアイで生活しておられます。




ここイグアス市には
そのうちの約1000人の方がいらっしゃいます。




主要産業は農業で
その中でも大豆栽培が中心です。


特ここイグアス市への移住の歴史は浅く
まだ日本で育ち
ここに移住してきた日系1世の方も
ここで生活しておられます。


そのためここでは今も
生きた日本語が飛び交っているのです。











日本語学校にもお邪魔させてもらいました。


彼らは日系3世のこどもたち。
家庭ではスペイン語と日本語が混ざっているそうです。



日本をまだ知らないこどもに
日本の文化を教えていく難しさ
またその必要性 重要性が問われる気がします。



何より本人たちが自分のおかれた立場を
この先どう捉えていくかが一番重要な部分だと思います。








日本の学校さながらの教育目標掲示。
でも内容はパラグアイに準ずるもの。








学校だよりも日本と同じ。
















日本語学校にはパラグアイ人も通う。






日本人会事務所に置いてあった
一つのパッケージ。







3.11 東日本大震災の際に
ここイグアス市から被災地に向けて
豆腐を支援品として送られたそうです。


地球の裏側からこうして
日本語であたたかい気持ちが届き
さぞ被災された方も心あたたまられたことでしょう。


自分たちにできることをされた
ここイグアスの日系人の方々の行動に
心から感動しました。




日本から遠くはなれた
パラグアイの中の小さな日本。



たくさんのことを僕に教えてくれました。



素敵な場所が
世界にはたくさんあります。






















2013.3.2  Guatemala Antiguaより  田畑智英



4 コメント:

なかむー さんのコメント...

ふむふむ。
ふむふむふむふむふむ。

ではまた次回。

おざわけいすけ さんのコメント...

海外行きたなって来た。

Unknown さんのコメント...

なかむー*

ゆばころたべたいゆばころゆばころ。

ウユニの写真
もうちょい待ってね。w

Unknown さんのコメント...

おざすけ*

いけばええぜよ!
心の声に従って。

新たなアクション起こせば
また何かが見えるよ。

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