もあいじま。


イースター島。
現地語名はRAPA NUI。(広い大地の意)
チリの領土に属しているため 公用語はスペイン語。
そのため Isla de Pascua というスペイン語名も多く使われる。



そう ここは
あのモアイのいる島。




僕は小さい頃から
外国の文化
というか聞き慣れない異国の言葉の
響きにどこか憧れを感じていた。



小学生の時
国語の授業で
このイースター島の歴史に関する文章を
学習したことを覚えている。



歴史の内容は忘れたが
ナレーター声を
CDで聞く形式だったその授業の中で
唯一 僕の耳に残っていたイースター島の地名


それが
『ラノ・ララク』



ラノ・ララクは
イースター島のモアイを造るための
巨大な石切り場。



島のモアイのほとんどが
このラノ・ララクから切り出されたものだ。



そんな
10年以上前に聞いた
懐かしい響きたちを求めて
僕はイースター島に降り立った。






モアイ像。
想像よりもその大きさに驚いた。






遠近法を見事に利用。
このモアイ像は実際のところ5メートルは軽く超える高さ。




着いた初日に
モアイ像ともに美しい夕焼けを見た。




夕日を眺める時間が
僕は一日で最も好きだ。



優しい色を届けてくれる西日。
それをうっとり眺める人々。
それらをあたたかく包み込む時間。
その全体の何とも言えない平和な雰囲気。



どれもが僕の心をいつも癒してくれる。



ここイースター島では
さらにモアイを含んだ神秘的な光景に出会うことができた。



一日の珠玉の時間。





もはや言葉はいらない。

































ただ 感じるだけ。


地球の素晴らしさを。
自然の偉大さを。
人間という存在を。

















2日目、3日目はアクティビティday.

僕の中で
“島”と言えば恒例の
レンタサイクル。


トンガのアロファ号に引き続き
今回の相棒は“アフ号”。


アフとはモアイの乗っている神聖な台座のこと。
トンガのアロファに少し言葉が似ているのは
偶然ではなく
トンガの人も
イースターの人も
ポリネシア系という同じ起源をを持つ民族だからだ。
このあたりの事実は 非常に興味深い。




さて、サイクリング開始。


絶海の孤島をひたすら感じるコース。
道はオフロード6割舗装4割ぐらい。

オフロードは座ってこいでたら
お尻の皮が何枚あっても足りんと思うような
揺れ具合の道。


またもパンクの恐怖。




対向車は車か馬。
なかなかないぞ。
こんな場所。



牛は道路脇でグダグダしてる基本。







絶海の孤島 イースター島。
チリのサンティアゴまでは3700キロ 
タヒチまでは4000キロ離れている。


イースター島から
最も近い人の住んでいる島までは
なんと2000キロ。
つまり隣町まで2000キロ。
スケールがまるで違う。



街から自転車を漕いでちょうど1時間
あの ラノ・ララクに到着。




ここはユネスコの世界遺産に登録されている場所。
イースター島ではこのラノ・ララクと
もう一カ所が世界遺産の指定を受けている。






ラノ・ララク。
ここには 切り出されたものの
アフ(台座)には立てられずに 
放棄されたモアイたちが今も残る。
その数は500体とも言われている。























ここが石切り場。
画像下には
体の周囲だけ石を削られ
形を整えられて横たわるモアイがある。






ちょっと中休み。
モアイの真似。










ラノ・ララクからすぐにある
イースター島で最も有名な場所
アフ・トンガリキ。



ここには15体のモアイが立ち並ぶ。
これは日本の企業がクレーンを無償提供し
倒されていたモアイをこのように
立て直したことで有名。





さて ここで最大の疑問。


モアイとは一体何なのか。
そして
なぜ倒されたのか。





モアイとは何なのか。

ポリネシア系の民族には
先祖崇拝の信仰があり
先祖や勇者達の霊を部族の守り神として祀る習慣があった。

またピラミッドのように
一族の権威を誇示する意味もあり
モアイはその象徴として
10世紀頃からイースター島に多数築かれた。




なぜ倒されたのか。


モアイを石切り場から
海岸部まで運ぶには
多数の木材を使用し運搬した。

そのため森林伐採による環境破壊と
人口増加に伴う 食料危機が起こり

やがて部族同士が争い合うようになった。


相手の部族を攻撃する際に
その部族の象徴であるモアイも
もちろんその攻撃対象になったことは
想像に難くない。



その後は様々な歴史を経て
現在に至る。

現在島に立っている無数のモアイ像は
全て研究者の協力のもと
倒されていたものを
元の場所に立て直したものだ。




今では観光地としてにぎわう
イースター島にも
壮絶な過去が存在していた。




犠牲の上に平和が存在していることを
決して忘れてはいけない。























学ぶときは学ぶ。
楽しむときは楽しむ。


3日目は島で出会った日本人の仲間と
トラックで島観光。


カルデラ。
















ビーチでスイカ割りもしました!
相当珍しいらしく
ビーチに来ていた人の多くが
この様子を見てました。


















何年か後に
このスイカ割りが
この島の文化になったら
それはそれでおもしろいかもしれませんね。




たっくさんのことを
僕に教えてくれたイースター島。



モアイに包まれる島時間の中で
ゆったり癒されて
とっても素敵な場所でした。




またこの夕日
見たいなー。

















2013.2.6  Argentina Puerto Iguazuより   田畑智英

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