パレスチナと「平和」


パレスチナ。


日本にいれば時折報道される
自爆テロやイスラエル軍との衝突のニュースなどで
名前を聞くだけで 「危ない」 
そう思ってしまう場所。



僕も実際ここを訪れるかは
非常に迷ったけれど
人生一度のこの旅で後悔はしたくなかった。



旅に出たときから
どこかで命を落とすかもしれない
という覚悟は常に持って旅をしていたし
自分なりにできる限りの注意を常に怠らずにいて
それでもし何か起これば 
簡単な言葉だけれど
しょうがないという思いで旅をしていた。



日本にいてももちろん
連日報道される多くのニュースが物語るように
事件や事故に巻き込まれる可能性は大いにあるし
本当に人生は「運」が左右する部分が大きいと思う。





パレスチナについて
1日だけその地域を訪れた
僕のような一介の旅人が語る資格なんてないと思う。



でも
少しでもその地で
何かを見て 何かを感じた人は
そのことを伝える責任があるような気がする。



そう感じるほど
パレスチナの空気は
僕が訪れた他のどの場所にもない独特のものがあった。

 



これがパレスチナの現実だ
なんてジャーナリストのように
正しいことを言えるわけでは決してないけれど
ただただ僕が見たもの そしてそこで感じたことを
素直に綴ろうと思う。


今日の記事も長くなりますがご容赦を。







2013年5月25日
エルサレムの宿で出会った日本人2人と共に
パレスチナを訪れた。




現在パレスチナと呼ばれている地域には
2つの地域が存在する。


ヨルダン川西岸地区と
ガザ地区である。








この2つの地域は同じ「パレスチナ自治区」
として世界に認識されているが
様々な歴史を経て現在では
それぞれで異なった組織が統治している。



イスラエルと戦闘を繰り返している
という報道が日本でもよくされている 
ハマス率いるガザ地区側は
簡単に言えば「イスラエルの存在を認めない」
という方針をとる。


それに対し
ファタハ(PLO パレスチナ解放機構とほぼ同一)率いる
ヨルダン川西岸地区では「イスラエルとの共存の道を探る」
という方針をとっている。



この方針の違いから
イスラエル側もヨルダン川西岸地域のファタハ
の存在は認めており
ガザ地区に比べると双方の衝突は少ない。


当然僕が訪れたのは
ヨルダン川西岸地域。




聖地エルサレムから
バスに乗ってほんの30分も経たないうちに
パレスチナ自治区 ヨルダン川西岸地区の街
ベツレヘムに到着した。




イスラエルはパレスチナに対し
非常に強硬な姿勢をとっており
イスラエルとパレスチナの間に「分離壁」
を建設中である。












この壁はイスラエル側の主張では
「パレスチナのテロリストによる自爆テロから自国民を守るため」
という理由でこの「分離壁」を築いている。



2006年4月の時点では
総延長703kmのうち408kmが建設済みであるので
現在ではかなりの割合の建設が予想できる。




そしてこの壁
パレスチナ内に入植しているユダヤ人の住む地域を
取り囲むように建設されているため
イスラエルとパレスチナの間で結ばれている境界線のラインを超えて
パレスチナ側に大きく食い込む形になっている。


「セキュリティー・バリア」
とイスラエルで呼ばれているこの壁を巡って
国際社会からの批判もある。
2003年10月に壁の建設中止と撤去を求める国連決議が出され
翌2004年7月からは国際司法裁判所からの勧告も出されたが
イスラエルは現在も壁の建設を続けている。




実際イスラエル側では
この壁を建設したことにより
自爆テロは減少したという。



しかしパレスチナ側からすれば
この壁は大きな問題を抱えている。



この壁は境界線よりも大きく自分たちの土地に食い込んでおり
しかもパレスチナからイスラエルに行くにはイスラエル政府の発行する
通行許可証を取得しなければならない。



その通行許可証の発行条件は
病院や国際機関などの特殊な職業に就いていること
もしくは30歳以上であることであるため
その条件を満たさない人は
目と鼻の先にある宗教上の聖地
エルサレムへの巡礼も叶わない。



パレスチナの人たちが苦労して通行する
イスラエルとのチェックポイントを
僕たち外国人はイスラエル軍兵士のチェックとも呼べない
パスポートのチラ見せだけで簡単に通行することができる。







この壁をパレスチナ側から見ると
メッセージの込められた様々な絵が飛び込んでくる。


日本という平和な国から来た僕の心を
刺すような鋭いメッセージばかりだ。














こうして日本語のメッセージがあるように
世界中の言語で自由を望むメッセージが
この壁に書かれている。











自由に夢を持つ権利を奪える人は
本来いないはずだ。






















































世界中が見ている。





イエス・キリストこそが道。
ちなみにここベツレヘムはイエスの生まれた地でもある。
この場所でのこの言葉は特別な意味を持つ気がした。
























平和の象徴であるはずのハトまでもが狙われている。
平和とはほど遠い。





僕は特にこの絵が印象的だった。
一体 平和とは何なのだろうか。



















世界平和のために自分ができることはあるのだろうか。
自分の無力さと
誰とも言えない相手に
やり場のない憤りが胸にこみ上げてきた。






















ちなみにこうした絵が描かれているのはパレスチナ側だけ。
イスラエル側から眺める壁は
まるで感情のない刑務所の壁のようにそこに佇む。







次に僕たちが訪れたのは
ヘブロンという街。
ベツレヘムからさらに1時間ほどバスに揺られる。




この街ではパレスチナでの
ユダヤ人入植者とパレスチナ人の関係性を見て取れる場所がある。



ヘブロン旧市街にある
ユダヤ人とパレスチナ人が混在する地区。






同じ建物の2階に住むユダヤ人が
下の階に住むパレスチナ人に嫌がらせのためにゴミを捨てているらしく
それに対処したフェンスが双方の間に設けられている。





ユダヤ人入植者を守るため
パレスチナ人の動向を監視するイスラエル軍の監視塔。

この街に暮らす数百人のユダヤ人を守るために
数千人のイスラエル兵士が駐在している。

嫌がらせのひどい場所では
商店が閉店しゴーストタウン化している場所もある。








屋上でバスケットを楽しむユダヤ人たち。




ユダヤ人居住地へ行く際
パレスチナ人に対しては厳重なチェックがある。


僕ら旅行者はには何のチェックもない。
この写真の横では常に銃口を通路に向けている
イスラエル兵士がいる。


撃たれないとわかっていても
自分に銃口が向いていると
足が少し震える。

















ユダヤ人 イスラエル兵士と少年。

イスラエルでは高校卒業後3年間の兵役の義務がある。


3人の若い兵士に呼ばれ
彼らと
日本はどんな国だとか
この国はどんな国だったかとか
彼女はいるかとか
逆に彼らの家族の話など
旅行者同士がするのと何ら変わらない話を
笑顔を交えながら話していると
ふとこうしたイスラエル兵士の多くが
僕と年齢がほぼ変わらない
同世代の若者であることにショックを受けた。


パレスチナの大地。



パレスチナ内であっても
時折イスラエル国旗が風に棚引いている場所もある。



故アラファト議長のポスターもあった。










パレスチナを訪れた数日後
イスラエルの事実上の首都
テルアビブを訪れた。



ビーチリゾートの地として有名で
非常にのどかな空気が流れている。




































ヘブロンの後に
こうしたいかにも平和というような光景を見ると
どこかユダヤ人が悪者に見えてしまうかもしれないけれど
彼らも彼らでナチスをはじめ長く迫害をされ続け
このイスラエルという国は
遠い先祖からの悲願であった安住の地であり
決して彼らを悪などとは呼べない。


彼らからするとパレスチナ人たちは
ユダヤ人たちの土地を長く奪い住んでいた
部外者なのであるから。


見る立場が変われば
状況も180度変わる。




どうすればこの問題が解決するのかは
考えれば考えるほどわからなくなるけれど
戦争や民族問題を解決するためには
僕は「慈しみの心」を互いに持つことが絶対に必要だと思う。

相手を思いやる気持ち。

自分の意見を押し通すのではなくて
相手の立場や想いを尊重しながら行動する。


戦争で愛する人を殺されれば必ず憎しみが生まれる。
けれど感情的に動くばかりでなく
少し思い留まってそこに相手を慈しむ心があれば
殺した人も誰かに強要されて無理矢理
殺さなければいけない状況に追い込まれていたのかもしれないと
思うこともできる。


慈しむ心を持っていれば
深い痛みを知れば知るほど
その痛みを相手に与えたくないと思うはず。




戦争は国と国
民族と民族など
非常に大きなものだけれど
細かく見れば人間と人間の間で行われるもの。


お互いに努力して
思いやる気持ちを持ち続ければ
やがてその無益さに気付くのではないだろうか。




こんなところで理想論を掲げているだけでは
何もこの世に変化は起こりらないが
与えられたこの命を燃やす中で
この世界の矛盾を正すために
行動していきたい。
宗教者としての生き方を模索しながら。







イスラエルとパレスチナ。
日本ではニュースでしか知ることのできないその様子を
こうして少しでも現地の様子を
自分の目で見 肌で感じることができて 
本当によかったと思う。



世界に出るということは
遠い国の自分に関係のない他人事であるニュースが
ある日 自分事に変わり
その突きつけられた現実を前に
考え もがき 生きるということ。 


夕日の美しい「平和」な
テルアビブのビーチで
頭が痛くなるほどいろいろなことを考えたこの日を
僕は決して忘れないだろう。
















2013年8月6日  田畑智英 

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