トルコ・カッパドキア   不毛の地で生きた人々。


ギリシャから船でトルコへ入国。
4年前にトルコに来て
その魅力に取り憑かれての人生2度目トルコ。




ギリシャ・サントリーニ島から夜行船で
トルコのエーゲ海を望むリゾート地ボドルムへ。
ボドルムから夜行バスでカッパドキア観光の拠点ギョレメへ。



相変わらずタフな旅です。
へろへろくんになりそうです。
へろへろくん好きな人ぜひ仲良くなりましょう。



夜行バスでは素敵な出会いがありました。




彼らは同い年のトルコ人で
バカンスでボドルムに遊びにきていたとのこと。

彼らは英語はほとんどわからなくて
トルコ語で基本しゃべりかけてきて
僕はつたない英語とあとは日本語でしゃべってました。


でも話はわかるんだなー。


不思議やけど
“言葉”が通じひん方が
“心”が伝わることが多い。



それは言葉が通じひんときの方が
その人の表情であったり
行動をよく見るからだと思う。


言葉ってつい建前で表現して
内心とは違うことをしゃべってしまうことがあるけど
表情や行動はなかなかそうはいかない。

『目は口ほどにものを言う』
という諺もありますよね。



音楽聴き合ったり
携帯に入ってる家族の画像見せ合ったり
ただただ笑い合ったり
なーんか思い返すと自然に微笑みたくなる
良い時間やったなー。



ケマル達ありがとう。





そしてカッパドキア・ギョレメへ到着。



こんな感じでもう早速イメージ通りの巨岩群カッパドキア。


向こうにいってから知ったんですが
よく聴くカッパドキアって一カ所のことを指すのではなくて
トルコ中央に位置するアナトリア高原に
100㎢にわたって広がる台地のことなんです。
めーちゃくちゃ広いんですねカッパドキアちゃん。
にょきにょきと生える奇岩がそんな広範囲に広がっているのね。
早速の驚き。




ここでカッパドキアをご存知の方も
ご存じない方にももう少しご説明を。









とにかく奇岩の景色が眼前に広がります。

この奇岩達
古くからの火山活動と浸食活動で造り上げられたと
考えられています。


おそらくこの風景は
何千年もかけて今の姿になり

たくさんの日々を越えて
たくさんの歴史を乗り越えて
ここを訪れる人たちに
この地球とは 自然とは
そんなことを語りかけてくれています。


このあまりにも奇異な風景を見た
太古の人はこの地を
見てはいけないものという意味の『ギョレメ』と名付けました。
人の自然に対する畏敬の念を感じ取れます。





そんな見てはいけない
ギョレメという街を起点に巨岩探検ぶらぶら。

見てはいけないというと
『買ってはいけない』
という本が昔流行った事を思い出しました。
僕の添加物を意識するキッカケを与えてくれた本でした。
どこいったかなー。帰ったら探そ。




お花も咲いていて綺麗な場所です。




キノコの山。

キノコの山とたけのこの里のネット検索数で
どちらが検索数が多いかという調査結果が今年4月に出たらしいですが
全国で圧倒的にキノコの山の検索数が多かったようです。
ただ青森県はたけのこの里の大勝利。
なぜ。
ちなみに僕もたけのこの里派です。

参考にどぞ。
http://promo.search.yahoo.co.jp/articles/2013/04/kenminsei_12.html








ここはオープンエアーミュージアム。
直訳すると野外博物館。
ふむ。
英語のままでいきましょう。



この博物館にはなにがあるかというと
キリスト教の洞窟修道院跡です。














なぜトルコにキリスト教の修道院があるのかというと
3世紀半ばにローマ皇帝の迫害を逃れたキリスト教徒が
この地に修道院を建て 移住してきました。


特にネロ皇帝の迫害は有名ですね。
ローマのサン・ピエトロ大聖堂の地で
聖ペテロが殉教する事になったのもネロ帝の迫害時なので
その凄まじさがわかります。


こうした地上にある修道院・住居跡はもちろん
彼らはなんと地下にまで都市を築きあげます。
(地下都市は後ほどご紹介します。)








どんな想いで彼らはこの辺境の地に
移住してきたのだろうか。










トルコではアジア人?
がよくモテます。
理由はわかりません。
珍しいからか?
日本人やからか?

謎深まるばかりですが
特に中学生ぐらいの少年少女に
写真一緒に撮って!とせがまれます。
軽く芸能人気分です。


オープンエアーミュージアムにて


このあともクラス全員に囲まれて(50人ぐらい)
ひたすら写真撮影会。
女の子はかなり近づいて腕組みしてくれたりもします。
結構きゃっきゃゆっててかわいい。
ひゃっほー!


でもほんまになんでなんやろか。
この後のイスタンブールでも同様の事がありました。
このあたりの事情知ってる方がおられたましたらぜひ教えてください。







カッパドキアの地下都市。
この地にやってきたキリスト教徒たちは
カッパドキアの地下にも都市を建設しました。


その数は200から400もあるといわれており
その中でも最大のもので地下16階 
深さなんと150メートルにも及ぶというのには
驚きを隠せません。








居間 寝室 キッチン 
ワイン製造所まで
彼らはこの都市だけで暮らしていける設備を
全て創り出しました。


僕が訪れたこと
デリンクユ地下都市だけでも
推定で6000人もの人々が暮らしていたそうです。





あまりの規模に言葉を失います。
当たり前ですけどエレベーターとかないですからね。
写真のような狭い通路しかなくて
下の階の人が地上近くに来ようとするだけで
一苦労ですよ。


実際に行った感想としては
まず第一に暗いし 狭いし
独特のこもった匂いもするし
人が永続的に生活するような場所ではない
と思いました。

だからこそ6000人もの人が暮らしていたと聞いて
ものすごい驚きと信じられない気持ちでいっぱいでした。


彼らも好きで住んでいた訳ではないと察すると
地下で太陽を眺める日を夢見ながら生活する悲しさと
僕らの恵まれた環境での生活の幸せを感じるのでありました。





敵の侵入を防ぐ石の扉。
















これは通気口と明かりとり。
最新部から地上を見上げています。
自然の光を感じられる唯一の場所です。













カッパドキア。

太古の地球の姿と
そこに暮らした人間の懸命に生きた
生き様を感じられる場所です。





2013.7.13    Thailand  Pattayaより 田畑智英



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